days of atresure

ロサンゼルスのシェルターにいたRookie。Rookieの一時預かりボランティア中に、日本帰国が決まり、正式に家族として迎えることに。大変なこと、幸せなこと、最近では幸せなことばかり、、、綴っています。本ブログの画像および文章の著作権はmamiにあります。無断転載を禁止します。

あれから20年

1992年4月25日、その日は週末で、私が就職してはじめて稼いだ給料で何を買おうかなんて浮かれ気分でほっつき歩いていたときに、とんでもないニュースが飛び込んできました。
尾崎豊急死。
悲しいというより、ものすごくビックリした。しばらくの間は、実感できなくて悲しいという感情がわかなかった。
護国寺で行われた追悼式に参列して花を手向けても、周りのファンみたいに泣き崩れるどころか、涙の一粒も出てこなかった。
ただ手許には、もう開催されることのない東京ドーム公演のチケットと、発売されたばかりなのに遺作となってしまったアルバムが残った。ただぼんやりとこれからは自分の鬱々としたやるせなさを尾崎の歌で昇華させるのではなく、自分で整理して処理して、社会人になって大人にならないといけないなんて思った。


あれから20年、あっという間に経ってしまった。
先生とか親どころかクラスメイトすら信じないヒネた生意気な子供だった私も、すっかりオバちゃんになって、今では周囲に適当にうまく合わせて受け流すことができるようになったし、そもそも(良くも悪くも)簡単に人を信じるようになり、前よりずっとラクに生きてる。
それでも時々は尾崎の歌を聞きたくなる。特に傷ついているわけでも何でも無いけれど。
高校生の頃、自転車通学だった私は通学途中からちょっと遠回りして、尾崎の実家の前を通ってから高校へ通ったりした。途中の急坂ではいつもゼエゼエ言いながら「坂の下に見えたあの街に」を歌いながら(もう今の体力ではあの急坂、自転車で登れません。。)
あの頃、何がそんなに苦しかったのか、オバちゃんになってしまった私にはもう思い出せないけど、毎年桜が散って尾崎の命日が来るたびに、ちょっと胸がチクチクします。