days of atresure

ロサンゼルスのシェルターにいたRookie。Rookieの一時預かりボランティア中に、日本帰国が決まり、正式に家族として迎えることに。大変なこと、幸せなこと、最近では幸せなことばかり、、、綴っています。本ブログの画像および文章の著作権はmamiにあります。無断転載を禁止します。

mahina bag

今日から4月1日です。
気持を新たにしていきたいと思います。
昨日の日記で少し書きましたが、最近作っていたハワイアンキルトの「ウルのmahina bag」完成しました。
ウルとはパンの木のことでハワイアンキルトでは伝統的な柄です。ウル柄のキルトを縫うと幸せになれるという伝説もあります。
mahinaはハワイ語で「月」のこと。バッグの持ち手が満月のようなのでこの名前がついたようです。
平和なイメージいっぱいのキルトですが、アメリカでいちばんキルトが縫われたのはなんと南北戦争の頃だそうです。戦争に行く恋人や、夫、息子のために、ひと針ひと針祈りをこめてキルトを縫って戦場へ持たせたようです。戦死した兵士はそのキルトに包まれて無言の帰還をしたとか。。日本の千人針に少し似ていますね。
幸せな気持だけでキルトを縫える時代がずっと続いてほしいと思います。
◆ハワイアンキルトとは?◆
ハワイアンキルト」は、1820年代の初期に、アメリカ宣教師の妻達が、ハワイ王家の女性達に「淑女としてのたしなみ」の一貫として、お茶会の席で裁縫を教えたのが始まりと言われてます。
当時、ハワイに布地は一般には普及しておらず、島民は「kapa(樹の皮で作った繊維)」を身にまとっていました。
宣教師の妻達は最初〜パッチワークを教えるため、本国から新しい布地を取り寄せました。
しかし、パッチワークを教えるために、わざわざ新しい布を切ってもう一度つなぎ合わせることは、本末転倒でした。それならばと、大きな布のまま、紋章や旗、冠、カヒリ(羽根飾り)等の「地位や家柄を象徴する装飾品」をモチーフにして、アップリケキルトを作るうちに、ハワイ独自のスタイルが生まれました。
ハワイアンキルトの古典的な配色は、白い布の上に赤い(ターキーレッド)布を載せる配色です。ハワイに布が伝わったとき移入された布のほとんどが赤だったためと言われています。アンティークキルトを見ると、そのほとんどがこの配色です。今では色鮮やかなキルトもたくさん生まれました。
ある日庭先の樹に干した白いシーツに浮かび上がる木々の影が、日の光をうけてくっきりと1枚の絵のように映し出されるシルエットを見て、ハワイの恵み豊かな自然を描くことを思いつきました。その樹は、「オレア フレア」であったとも、「パンの樹」であったとも言われています。それから王家紋章や装飾品に限らず、ハワイの自然をモチーフにキルトを作るようになりました。
だんだん複雑になっていく図案を、より正確に布に写しこむため、布地を折り紙のようにおり、左右対称にする4分の1折りや8分の1折りが生まれ、次世代へ継承しやすくしました。
また、ハワイアンキルト独自のエコーキルティングの「エコー」は「木霊」を意味し、モチーフを囲むエコーが木霊として、モチーフを強調しています。
エコーとエコーの間を「ノッチ」といい、「波による侵食」を意味します。


ところで私、1ヶ月期間限定でダイエットします!(あみちゃんに影響を受けた??)
なんだかエイプリルフールの今日に宣言すると嘘っぽいけど、半分本気です(*^_^*)